個人指導ノートより 第2回
人はなぜ働かなくてはならないか 小浜逸郎
【200字要約】 労働の意義を根拠づけるのは、欲望論的解釈でも道徳観念でもなく、私たち人間が本質的には社会的な存在であるという事実そのものである。そこには、労働行為が社会の中で必ず他人のためになること、そもそも労働行為が可能となるには他人との関与が不可欠であること、そして労働行為は社会的な人間関係を形成するための媒介であること、という三つの意味が含まれる。人は労働によって自己の位置づけが可能になるのだ。(194字) 【コメント】 「人は社会的な存在だ」というテーゼを外していなければOKです。集団・社会と関わりを持つこと、そしてそこで役割を果たすことで私たちは「可視化された身体」を確保できる。逆に疎外されたとき人は一番弱くなる。 【労働についての省察】 禁欲的勤労精神(まじめに働くこと)はプロテスタンティズムが生んだ近代のエートスだ。それに反するものは「反近代」と位置づけられ退けられてきた、というのが従来の説だった。 正常⇔異常、理性⇔狂気、労働⇔怠惰。二つに分けられた内の一方が近代の闇として葬り去られてきた・・・という理解は正しいだろうか。 我々はこれらを切り捨ててきた、のではなく、闇は闇として定義しつつも滅ぼすのではなくむしろそれをコントロール下におくことによって近代の推進剤として機能させてきたのではないか。 影法師なき街のないごとく、闇なき光もまたあり得ない。 労働(日常)と対置される「祝祭」(非日常)のエネルギーにこそ、私たちは近代のもう一つの面を見いだすべきであろう。
by yoizukisaene
| 2009-03-27 11:30
| さえね先生
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《生まれも育ちも》
静岡県富士宮市生。 熊本大学文学部卒業。 2006年「短歌研究」誌掲載。 2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。 2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。 《専門と専攻》 専門:日本古典文学(平安朝和歌文学) 専攻:「古今和歌集」とその表現 《師弟関係》 師事 安永蕗子 弟子 まみ 《著作一覧》 最新のトラックバック
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