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銀星亭~Villa d'Etoile en argent~

水底の街、紅葉平にて。


紅葉平に雨の季節がやってきた。

晩春のほこりを全く払い落とすごとく二日二晩降り続いた雨があがると、紅葉平の木々は本当に明るく鮮やかな新緑へと姿を変える。
野暮ったくてすこし硬くなりかけた冬の残滓はきれいさっぱりどこかへ消えてしまう。
雨に打たれたからといって木々や葉が変わるわけではない。でも、あの乾いた土臭い春の山の砂色の緑の下に、こんなにやわらかな生まれたての生命のような色が隠れているなんて毎年のことであっても信じられないことなのだ。その一点においても自然は我々を欺くし、また我々にとって自然は鮮やかな存在であり続けるといえよう。

心地よい風が木々の枝葉を揺らすとき森の全ての光と陰が輝いて、私の上を光の粒子が転がる。
こんなにも輝かしくそしてすがすがしい若葉がこの世に存在したのである。晩春の街を覆っていた閉塞感のようなものはたしかにここにはなく、一等美しい風だけが吹き抜けている。
ああ、まだ街は汚れているだろうか。ぼくは心底、あの数字だの合理だのが支配する街に戻りたくなくなった。すると携帯電話の電源を入れていることが急に汚らわしく思えるようになった。もし着信があったらどうしよう。着信音は私を下界につなぎとめるベルフェゴールの杭だ。

なだらかに敷き詰められた庭石の上を、水面の漣のごとき光の粒が転がるさまはさながら水底。
見上げれば枝々の重なり合う遥か上に青い青い水面がある。ブリキ細工の小さな風車小屋に暮らす陶器の老人にも言葉もない。ああ、この窓も外も水なのだ。そう思ったらここは水底になった。
水が全ての空間を満たし、全てが水の中にあれども世はなべてこともなく。一息ごとに耳の奥にも肺の奥にも水が満たされてゆく。ごぼりと最後の空気を吐き出した時だけ少し苦しかったが(それは吐瀉するときの感覚にすこし似ていた)、存外簡単に、私の中も外も水に満たされた。ただそれだけであって、何が変ということもなく、あるべきものがあるべきところにちゃんとおさまっているじゃないか、とすら思う。


水底にさした光がこのまちのねむりをさますその朝の風

水底に千年ねむる次に目がさめたら飲もうこのコーヒーを

僕たちが最後の住人この街の石に名前を刻もう、Jane。

今日水に沈んでしまう街だから“Oh,my Jane”を歌ってほしい

木も石もやがて水底土となるときの夢見て君とねむらん

ねむりからさめた街なら風よ吹け校舎の屋根の風見鶏まで
by yoizukisaene | 2009-04-15 12:35 | 今日の歌
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静岡在住の歌人です。日々詠んだ歌を載せています。

by よいづきさえね
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《生まれも育ちも》
静岡県富士宮市生。
熊本大学文学部卒業。
2006年「短歌研究」誌掲載。
2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。
2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。

《専門と専攻》
専門:日本古典文学(平安朝和歌文学)
専攻:「古今和歌集」とその表現

《師弟関係》
師事 安永蕗子
弟子 まみ


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