銀星亭~Villa d'Etoile en argent~

「山月記」について(上)

 「山月記」、という小説がある。中島敦の手による短編小説で、戦後すぐに高校の国語の教科書に載るようになり、その後、一度も姿を消したことがない有名な作品だ。


 「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。」という名高い書きだしを覚えている人もいるだろう。高校生における知名度は「羅生門」「こころ」「高瀬舟」などをしのぐものがある。


 作者の中島敦は、三十三歳の若さで夭逝した小説家である。豊富な漢籍の素養に支えられた格調のある硬質な文体と、精緻な構成による完成度の高い作品を残した。


 「山月記」の中の白眉といえば、虎になった李徴が朗々と漢詩を吐く箇所であろう。あるいはまた、「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」という、謎めいた(よく高校生が解釈に苦しむ)文句も印象に残っている人が多いかもしれない。
 けれども私が気にいっているのは、そこではなく、李徴が次第に虎になってゆくおのれを自己分析する部分である。

「自分は初め眼を信じなかった。次に、これは夢に違いないと考えた。
 夢の中で、これは夢だぞと知っているような夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。
 どうしても夢でないと悟らねばならなかった時、自分は茫然とした。そうしておそれた。
 全く、どんな事でも起り得るのだと思うて、深くおそれた。
 しかし、何故こんな事になったのだろう。」


 変身の恐怖に耐えながらもつとめて冷静に分析しようとする李徴。その結論は、われわれ生きものを生かす自然のありようを、冷徹なまでにわれわれにつきつけるものだ。

わからぬ。全く何事も我々には判らぬ。
 理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。
 

 まさに人が生きるとはそういうことではないか。
 顔に身体、声に才能。それは人それぞれ全く異なるものである。
 われわれは人をうらやんだり、さげすんだりしながら生きている。
 あるいは、人間とは、おのれの境遇について、なぜ、どうして、と問わずにはいられない生きものなのかもしれない。
 しかし李徴は、それは我々生きもののさだめだと突き放す。
[PR]
by yoizukisaene | 2014-10-05 09:13 | さえね先生 | Comments(0)
<< 山月記について(下) 087:故意(佐野北斗)  >>



静岡在住の歌人です。日々詠んだ歌を載せています。
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
人生は一日一日の積み重ね..
by 通りすがりの名無し at 01:28
お悔やみ申し上げます。 ..
by yoizukisaene at 15:31
馬鈴薯の花摘みながら 振..
by 通りすがりの名無し at 00:28
小さい鍋でつくる味噌汁、..
by yoizukisaene at 07:12
4月。新年を迎えたような..
by 通りすがりの名無し at 01:42
ご来場いただきありがとう..
by yoizukisaene at 18:12
学校という場所にいること..
by yoizukisaene at 19:29
卒業生のみなさん 卒業..
by 通りすがりの名無し at 06:21
ありがとうございます。1..
by yoizukisaene at 16:11
お久しぶりです!通りすが..
by 久しぶりの名無し at 15:20
管理人プロフィール
《生まれも育ちも》
1984年、静岡県富士宮市生。
2006年3月、熊本大学文学部文学科日本語日本文学分野卒業。現在、静岡県在住。
2006年「短歌研究」誌掲載。
2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。
2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。

《専門と専攻》
専門:日本古典文学(平安朝和歌文学)
専攻:「古今和歌集」とその表現

《師弟関係》
師事 安永蕗子
弟子 小海碧架
    まみ


《著作一覧》
最新のトラックバック
047:持 より
from 楽歌三昧
佐野北斗さんの歌
from 麦畑(題詠blog用)
検索
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧