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銀星亭~Villa d'Etoile en argent~

山月記について(下)

 ところで李徴は完全に虎になったわけではなかった。そこに李徴の悲劇性がある。本文の独白を追ってみよう。


 ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。
そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。
 その人間の心で、虎としての己の残虐な行いのあとを見、おのれの運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、いきどおろしい。
 しかし、その、人間にかえる数時間も、日を経るに従って次第に短くなって行く。
 今までは、どうして虎などになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気が付いて見たら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。

 これは恐しいことだ。

 今少し経てば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。
 ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように。



 李徴の心は、虎と人間との間をたえず彷徨している。
 それは闇と光の間をさまよう魂のようだ。
 しかしその心はしだいに闇の色合いを濃いものとしていく。


この間ひょいと気が付いて見たら、おれはどうして以前、人間だったのかと考えていた。これは恐しいことだ。



 ひとは、慣れる生きものなのだ。悲しいことに、そして恐ろしいことに、どんな状況にもやがて慣れてしまうのだ。
 李徴が虎としての自分の生活に違和感を覚えなくなった時、李徴の人間の心を照らしていた灯りがふっと立ち消える。あとには煌々ときらめくばかりの闇が深淵の口をぱっくりと開けている。
 おのれがその闇の中に膝まで浸かっていることにふと気付くとき、我々は底しれぬ恐怖と寒気を覚える。今のこのあたりまえは本当にあたりまえのことなのか?と。
 しかし闇の力にあらがうことは難しい。砂漠の砂が古い宮殿の礎を呑みこんでいくように、李徴の理性は虎の心によって食いつくされてゆく。
 かつての詩人の悲痛な独白はさらに続く。


 おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、その方が、おれはしあわせになれるだろう。
 だのに、おれの中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。
 ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているだろう!
 おれが人間だった記憶のなくなることを。


 李徴が口にした「しあわせ」という言葉には、中島敦の手によって傍点が附されている。
 私は授業でこれを「異化効果」(Verfremdungseffekt)であると教えるが、そんなことを聞かされずとも、この傍点つき「しあわせ」を、文字通りとる人はいないだろう。
 なまじ人間の心が残っているからこそ、非人間的なおのれの行いに苦しまなければならない。
 ならばいっそ、身も心も獣に堕ちてしまえば、おのれを引き裂く矛盾にさいなまれる事もないのではないか。
 闇に闇を塗りこめていくような李徴の独白はかくも悲痛である。


 物語終盤、李徴が口にした言葉に触れてこの小論を終わりにしたい。


 人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。
 おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。



 ひとは誰でも心に虎を飼っている。それは普段は眠っているが、折にふれて眼を覚まし、頭をもたげ、歩きまわろうとする。その虎をうまく飼い馴らす人もいるし、おのれ自身を食いつくされる人もいる。

 李徴は、詩人になりそこない、あさましい虎になり果てた。

 賢い李徴は、それも、生きもののさだめだとして受け入れ、生きていくのだろうか。

 それでも私は思うのだ。李徴が完全に虎になる前に、自身の詩を世に遺すことができたことは、李徴にとって幸せなことであっただろうと。

 無二の旧友・袁傪の手によって後世に伝えられたその絶唱は、冷たい月の照らし出す渓谷に朗々と響いたことだろう。

 李徴はおのれの中の人間の心を失うことで初めて傑作と呼ぶべき詩を世に問うことができたのである。
 しかしその境地は、あさましい虎にならなければ得られないものだった。
 いやむしろ彼は、虎になることで初めて真の詩家となることができたのだといえる。

 文学とは、かくも業深きものなのだ。
by yoizukisaene | 2014-10-05 09:14 | さえね先生
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静岡在住の歌人です。日々詠んだ歌を載せています。

by よいづきさえね
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《生まれも育ちも》
静岡県富士宮市生。
熊本大学文学部卒業。
2006年「短歌研究」誌掲載。
2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。
2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。

《専門と専攻》
専門:日本古典文学(平安朝和歌文学)
専攻:「古今和歌集」とその表現

《師弟関係》
師事 安永蕗子
弟子 まみ


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