銀星亭~Villa d'Etoile en argent~

国語教育のための試論 序説 世界把握の為の方法論(改訂版)

  1.「多様なセカイ」

 私たちが暮らしているこの世界にはさまざまな事件(事象、できごと)が起こる。テロに戦争、核兵器に環境破壊などといった地球規模で語られる大きな問題から、「我が家の愛犬ポチがどうもお腹をこわしたらしい」「今度の冬休みに家族で海外旅行に行くという計画がなぜか取りやめになった」というような小さくて身近な問題まで、実にさまざまな事件に、この世界は彩られている。

 子供たちにとってイラクで起こった戦争はなんだか遠い国の出来事すぎて実感も興味も持てないかもしれない。「今この瞬間にも多くのイラク人が苦しんでいるんだぞ」なんて言われてもイメージするのは難しいし、「だから野菜でも何でも好き嫌いせずに全部残さず食べなさい」という先生の飛躍した理論には、普通の子供なら到底納得できないものだ。なぜって、イラクでどれだけの人が死のうと、それは「赤の他人の身の上にたまたま降りかかった不幸な出来事」にすぎないからだ。私たちは不幸を身近に感じなければそれを実感的なものとして認知できない。
 しかし一方で冬休みの海外旅行の取りやめは、私たちにとって重大な関心事である。


 2.「だれが旅行をつぶしたか」


 さて、海外旅行の急遽取りやめを受けた子供たちは、申し訳なさそうにしているお父さんに向かって、なんと言うだろうか。「お父さんが悪い!」「うそつき!」「ちゃんといい点数とってきたのに…」(注・この手の約束は老獪な大人の手によってごまかされるケースが多い。しかし子供はかなり先までこうした約束を記憶しているものなので、互いに安易な約束をしてはいけない)などが考えられるだろうか。

 ところで、海外旅行が中止になったのは一体全体、誰のせいなのだろうか。お父さんが悪いのだろうか。それとも君たちの「日ごろのおこない」(注・これは大人が好んで使うフレーズだ)がよろしくなかったからだろうか。
 じっさいのところ、海外旅行が中止になった事件の背景には、さまざまな事情があるとみていいだろう。

  [事件]海外旅行の中止
   ↓
  [事象]
    Aお父さんの体調があまりよくない感じだ
    B渡航費用の急騰で旅行予算がオーバーした
    Cお父さんの会社が忙しくなった
    D海外の空港でのストライキで渡航日程が組みにくい
    E…

 このように、君の楽しみにしていた海外旅行を中止に追い込んだのは、一見関係なさそうな個々の事象群(A・B・C…)であるが、それらの個々について怒ったりため息をついていても実はどうしようもないことである。
 お父さんが忙しくなるのはよくあることだし、渡航費用の急騰は予測できない「不測の事態」だろう。海外の空港のストライキはたまたま発生したのだし、それらの全てに怒っていてもそれらは結局どうしようもできないことなのだ。かくして君は泣き寝入りをするしかなくなるのである。


 3.巨大なストーリー、その名は「本質」

 しかし、もしその背景に、共通した大きなストーリーが存在しているとしたら、どうだろうか。だれかが、この世界のストーリーを書いている。その巨大なストーリーこそが、君の海外旅行を中止に追い込んだ原因なのだ。そいつのことを私は、物事の「本質」と呼んでいる。

                    
   《私》  認知→  [事象] A・B・C … 【本質α】
                     

 「本質」は、物事を表面からパッと見ただけでは、分からない。本質は決して表層には現れず、世界の奥底に深く潜んでいるものなのだ。しかしその片鱗、気配、そういったものは私たちにもつかむ事が出来る。

 私たちは、この世の中に起こっているさまざまな事象群の背景にひそむ物事の本質を見極めなければならない。
渡航費用が高騰したのは航空燃料が値上がりした分を航空会社が料金に上乗せしていることが原因かもしれなくて、お父さんの会社が忙しくなったのは原油高による物価上昇に備えた経営計画の見直しを迫られる羽目になったからかもしれなくて、ではなぜ原油価格が上がったかといえばイラク戦争後の中東不安や、インドや中国といった巨大な石油消費国の台頭がめざましいといった国際社会の構造変化がそこには関係してくるかもしれないからだ。

 4.「本質」をつかめ!

 となるともはや私たちは世界のことに無関心ではいられないではないか。極東の島国である日本の片隅に暮らす名も無きある家族の冬休みの予定を強制終了した犯人の黒幕は、中東の砂漠に潜んでいた。いまや我々はどこにいても世界のことと無縁ではいられない。我々は我々を包む大きな物語であるこの世界のことを理解する必要がある。

 個々の事象を見逃さず、かつ惑わされずに、その背後にある本質を見極めること。それこそがポストモダンの社会を有意義に生きるために、必要不可欠なことなのではないだろうか。
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by yoizukisaene | 2007-12-22 23:58 | さえね先生 | Comments(0)
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静岡在住の歌人です。日々詠んだ歌を載せています。
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管理人プロフィール
《生まれも育ちも》
1984年、静岡県富士宮市生。
2006年3月、熊本大学文学部文学科日本語日本文学分野卒業。現在、静岡県在住。
2006年「短歌研究」誌掲載。
2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。
2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。

《専門と専攻》
専門:日本古典文学(平安朝和歌文学)
専攻:「古今和歌集」とその表現

《師弟関係》
師事 安永蕗子
弟子 小海碧架
    まみ


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