銀星亭~Villa d'Etoile en argent~

カテゴリ:さえね先生( 77 )

卒業式。


 3年間教えた子どもたちを、送り出しました。
 子どもって、いつの間にこんなに大人になるのでしょうか。
 感慨無量です。

 最後のホームルームの時に、クラスの生徒たちが、色紙と万年筆をプレゼントしてくれました。

 私は小論文の添削を行うとき、ブルーブラックのインクの万年筆を使うのですが、
 そのことを覚えていてくれたのでしょうか。

 こんなにうれしいことはありません。
 教師冥利です。

 

 旅立ちは弥生朔日きみたちの前に広がる未来は 海だ
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by yoizukisaene | 2012-03-01 15:26 | さえね先生 | Comments(0)

あと6日。


卒業式まで、あと6日。
教え子を送り出す時はいつも様々な思いが胸を去来します。


明日は前期試験。
雪雲に負けず、がんばってきて欲しいものです。
いつも通り、いつも通り。
平常心、平常心。
練習は本番、本番は練習のつもりで、
がんばれ、がんばれ、がんばれ!
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by yoizukisaene | 2012-02-24 19:31 | さえね先生 | Comments(0)

私の文学とは何だろう。


題詠100首blogに見えるその傾向は、


雨と水、夜と狂気と刹那主義、影と響きと、あと、無常観。


空ろな空間を埋めたいと願う狂おしいまでの願い、欲望、飢え、渇望。


空虚な素焼きの甕がありまして、そこに、滴一滴と、水がしたたる。
決してとまることなく、かすかに、しかし着実に。
いつかこの甕が水で満たされた時、私は幸せになれるだろうか。
甕を満たした水に映り込んだ私の顔はどんなだろうか。

それより何よりそこに月は映っているのか?


完全な空間であった母の胎内からこの世に出てきたときから後、我々のまわりは常に空虚であった。何物を持ってすら埋めるあたわぬその空虚さが、何ものかを乞い慕う心の動きを育てる。


文学は満たされぬ者の所業だ。
決して満たされぬがゆえに文学をつむぎ、それがまた次の渇きをよびさます。

だが、完全な満ち足りなど得ることはできるはずはない。
真のハルモニアは神の手によってしか成され得ないものである。

それをかりに求めているのだとすれば文学こそ愚かな人間たちの罪深き所業と言えよう。
だが、むしろ、それゆえに文学は愛おしい。



仏蘭西の猫は仏語で鳴きぬべし淡雪降りぬ路地の軒下
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by yoizukisaene | 2010-12-07 18:08 | さえね先生 | Comments(0)

インターネット小論文コンテスト本選会、行ってきました。

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 2001年にスタートした、毎日新聞社主催「インターネットによる高校生小論文コンテスト」も今年で第9回目を迎えます。

私よいづきも教員としては4年目の付き合いになります。

・昨年までの戦績

 2006年度 第6回コンテスト 本選出場7名 学校賞受賞
 2007年度 第7回コンテスト 本選出場14名 本選佳作1名
 2008年度 第8回コンテスト 本選出場4名 学校賞受賞


そして今年…


 2009年度 第9回コンテスト 本選出場 2名

 今年は応募者数自体が少なかった中、よくがんばって本選出場を果たしてくれました。
 子供たちのがんばりに心から感謝です。


 さて、昨年までは大阪会場での本選会に臨んでいましたが、
 今年からは交通面での利便性を考えて東京会場での本選会参加となりました。
 毎日新聞東京本社。
 皇居のすぐ隣でした。



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毎日新聞東京本社。



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竹橋というところにあります。



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皇居のお堀を挟んですぐとなりです。



さて、本年度本選課題は…「コミュニケーション」。
毎年のことながら、「そうきたか…」という、なんか悔しいような思いと「なるほどね…」という納得・感心の念が入り混じる瞬間です。みんなしっかり書けたでしょうか…。


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この奥が本選会場。出場生徒しか入れません。

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by yoizukisaene | 2009-08-21 12:02 | さえね先生 | Comments(0)

個人指導ノートより 第2回

人はなぜ働かなくてはならないか  小浜逸郎

【200字要約】

労働の意義を根拠づけるのは、欲望論的解釈でも道徳観念でもなく、私たち人間が本質的には社会的な存在であるという事実そのものである。そこには、労働行為が社会の中で必ず他人のためになること、そもそも労働行為が可能となるには他人との関与が不可欠であること、そして労働行為は社会的な人間関係を形成するための媒介であること、という三つの意味が含まれる。人は労働によって自己の位置づけが可能になるのだ。(194字)


【コメント】
 「人は社会的な存在だ」というテーゼを外していなければOKです。集団・社会と関わりを持つこと、そしてそこで役割を果たすことで私たちは「可視化された身体」を確保できる。逆に疎外されたとき人は一番弱くなる。


【労働についての省察】

 禁欲的勤労精神(まじめに働くこと)はプロテスタンティズムが生んだ近代のエートスだ。それに反するものは「反近代」と位置づけられ退けられてきた、というのが従来の説だった。
 正常⇔異常、理性⇔狂気、労働⇔怠惰。二つに分けられた内の一方が近代の闇として葬り去られてきた・・・という理解は正しいだろうか。
 我々はこれらを切り捨ててきた、のではなく、闇は闇として定義しつつも滅ぼすのではなくむしろそれをコントロール下におくことによって近代の推進剤として機能させてきたのではないか。
 影法師なき街のないごとく、闇なき光もまたあり得ない。
 労働(日常)と対置される「祝祭」(非日常)のエネルギーにこそ、私たちは近代のもう一つの面を見いだすべきであろう。
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by yoizukisaene | 2009-03-27 11:30 | さえね先生 | Comments(0)

【お知らせ】サンデー毎日原稿掲載のお知らせ。【買ってね】

3/24発売の「サンデー毎日」に原稿が掲載されます。
内容は、「『第8回インターネットによる高校生小論文コンテスト』学校賞受賞校の言葉」。
第6回コンテスト学校賞以来、2年ぶり2回目の掲載となります。

思えば、この小論文コンテストとの付き合いも早3年目。
本選に送り出してきた子供たちも3年間で25人になります。

3年間の成果は、学校賞2回、個人賞佳作1。

生徒たちの頑張りに、心から感謝です。
これからも子供たちの可能性を引き出し、彼らの成長を後押しできるようにがんばってゆきたいと思っています。
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by yoizukisaene | 2009-03-11 14:10 | さえね先生 | Comments(2)

悲劇

書類雪崩のあおりをくらい机上がコーヒーの海洋となりました。パソコンは超海洋に浮かぶ超大陸パンゲアになりました。
マイパソコンパンゲアに起きた変化としては、エンターとバックスペースのキー機能が入れ替わりました。
エンターを押すと前の字が消え、バックスペースを押すと改行されます。ああ…死にそうです(涙)
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by yoizukisaene | 2008-12-15 20:46 | さえね先生 | Comments(0)

個人指導ノートより 第一回

個人指導ノートより

 日本人は自己を対象化しない。

 欧米言語文化圏では自己を他者とは異なる「個人」として認識するために「人称」が重要視される。「I」「You」「We」などの差は重大である。これは「I」と「You」あるいは「We」が非連続の存在(つながっていない、別モノだ)と考える意識が根底にあるからだろう。

 これに対して日本語文化では主語・人称を明示することをあえて避ける傾向にある。というより、どちらかといえば「私が」ではなく「私どもは」、「私の意見」ではなく「みんなの意見」というように、集団に依拠した「非明示的」ともいえる表現が横行している。

 それは日本語が場面依存性の強い「場」の言語とでもいうべき性質を持っているからであろう。「赤い花なら曼珠沙華」を受容される「場」の論理が日本語表現の無主語性を支えている。
 そしてそれはゆるやかな「甘え」の文化であるといえる。「私」が思っていることは当然「あなた」も理解できるはずだ、という信念を、私たちは無意識の内に持っていはしないだろうか。それは甘えの構造である。しかし日本ではそれが許され、受容され、通用していく。連続観の上に成り立つ文化である。

 しかしひとたび「場」の空気を読まずに言動したとき、厳しい反応が返ってくることは言うまでもない。それはその「場」に参加しているメンバー(場の構成者)に迷惑をかける行為だからであり、世間という「場」における関係性を重んじる日本特有の文化システムである。

 そしてこの根は存外に深いように思える。
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by yoizukisaene | 2008-10-02 16:59 | さえね先生 | Comments(0)

秋空の

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秋空の高くて今日も会議かな
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by yoizukisaene | 2008-09-24 09:07 | さえね先生 | Comments(0)

ざしきわらしってなに?

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そもそも、ざしきわらしってなんだ? 疑問に思ったぼくは、インターネットで調べてみることにした。


座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。座敷わらしに会えるといわれる知名度の高い宿は岩手県の金田一温泉「緑風荘」と岩手県盛岡市天神町にある「菅原別館」、他にも民宿「とおの」、「わらべ」、「仙養舘」など。(wikipediaより)


ほほう。


なぜ、静岡にいる?


お前は本当に、ざしきわらしなのか?


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夜のオレンジ色の闇の中にたたずむそいつは、何も答えず、ただ笑う。
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by yoizukisaene | 2008-09-10 17:04 | さえね先生 | Comments(0)



静岡在住の歌人です。日々詠んだ歌を載せています。
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管理人プロフィール
《生まれも育ちも》
1984年、静岡県富士宮市生。
2006年3月、熊本大学文学部文学科日本語日本文学分野卒業。現在、静岡県在住。
2006年「短歌研究」誌掲載。
2009年「平成万葉集」(読売新聞社)入集。
2012年 歌集「高天原ドロップス」(文芸社)上梓。

《専門と専攻》
専門:日本古典文学(平安朝和歌文学)
専攻:「古今和歌集」とその表現

《師弟関係》
師事 安永蕗子
弟子 小海碧架
    まみ


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